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その後の私はというと、春から秋口にかけて月1くらいのペースで小呂島に同じ仲間と通い、真冬には別の仲間と広島の芸北や北海道にスキーに行くということを2年ほど続けていた。しかし釣りも拘り始めると留まることを知らないようだ。否、釣りが知らないのではなく私が知らないだけかもしれないが・・。たった1回の釣行でさえケミホタルやらなんやらと本当に必要なのかどうかは兎も角、小道具類が大量に欲しくなってくる。その為、仕事の合間に釣具屋に足を運ぶ回数も徐々に増えていった。 そんなある時、何気なく釣具屋の店内に置いてあった釣り雑誌を手にとって見ると、クロという魚(当サイト内ではグレで統一されている)が表紙やグラビアを堂々と飾っている。私はこれにショックを受けていた。それまでの私の印象では、クロという魚は‘臭いだけ’というマイナスイメージしかなく、釣りの対象魚としての認知度が全く無かったからだ。私は、「ウキ釣りはチヌやろうもん」と思い込んでいたのだ。しかし、どの釣り雑誌を見てもクロ釣りに関する記事に大半のページが費やしてあり、それに目を通している内に次第にクロ釣りというものに興味が湧いてきたのだ。かの麻雀仲間も時々磯釣りに行っているとか言っていたし、一度磯に連れて行ってくれと連絡した所、答えは二つ返事でOKだった。 早速、必要な道具を聞いたり本で調べたりすると、これまた、竿からリールに至るまで全て準備しないといけないではないか!おまけに見慣れない形の円錐ウキには、Bとか2Bとか意味不明のサイズが記され、店内に数限りなく陳列されてある。私はウキ釣りとは棒ウキを使用することだとしか思っていなかった。とりあえず、ワケのわからないまま2Bの円錐ウキを2個ほど購入し、ハリスや道糸等の小道具類を買い込み、竿とリールは店頭に並べてある数千円の品を購入したがそれでも数万円の出費を強いられた。何度も繰り返すが、そもそもゴルフはお金が掛かるので釣りだったらお金も掛けずに、暇な時にのんびりと楽しめるといった気持ちで再開したのが釣りだったのだ。にも関わらず、早くもその地獄の罠に掛かってしまおうとは!! そして初めての磯釣りは確か10月だったと思う。博多湾沖に浮かぶ玄界島のすぐ側の小机島に渡っての釣りとなった。仲間に言われるままに購入した、オキアミ、アミの冷凍エサに、集魚材を混ぜ合わせたマキエを意味も分からずに適当に海に撒いてみる。すると、あたり一面に小魚が湧き上がってきて、その中に仕掛けを入れるとあっと言う間にエサが盗られるか小魚がハリ掛りしてくる。もちろんクロなんぞはコッパすら釣る事もできない。その時の私には潮の流れを読んだりとかエサ盗りをマキエワークでかわすとかといった所謂‘引き出し’とやらは皆無であった。呆然と釣る私の横で仲間が手の平から足の裏サイズのクロをさも楽しげにコンスタントに釣っている。竿が綺麗な曲線を描かれる様が私にはとても羨ましかった。 何で自分には? ・・・くっそ~う・・ 得意げに竿を曲げる仲間の笑みをしばらく見せつけられていた。悔しくて悔しくてたまらなかった。仕方がないのでその釣り方を見よう見まねで適当に釣っていると、いきなりグワ~ンと竿を引ったくる当たりが私に襲ってきた。偶然にも私の竿に大物がヒットしたのだ!獲物は右に左にともの凄い勢いで走り回り数千円の安物の竿は根っこからグニャリと曲がっている。私は無意識に竿尻を腹に当て、必死にリールを巻いていた。仲間が差し出すタモに魚が納まるまでのハラハラドキドキとした緊迫感、その引きの強烈さが己の脳天を貫くほどのショックが私を襲った。タモの中の獲物はクロでは無く青物のヤズだったのだが、もう最高に嬉しくて帰ってから家族に自慢し、兄弟まで家に呼んで食べたことが思い出される。このことがきっかけで一気に磯釣りにハマって行った。釣具店や本屋に置いてある釣り雑誌をむさぼる様に読み、クロ釣りに関することを一生懸命に勉強することが始まった。 そしてゴルフやスキーも完全に止めて『釣り道』に邁進する日々が始まったのだ。 |