![]() 釣りにはそのスケールを図る物差しが無い。何のことかというと、例えば自分のその日の釣果が1尾だけだとしても同行者が『ゼロ』、つまりボーズだったらば、ある程度満足している自分がいるワケで至ってわかりやすい。しかし、それが10尾対11尾だったとしたらどうだろう? 相手に釣り勝ったという気持は湧かないはずだ・・・。 「今度、波多江さんも一緒に釣りに行こうや?」 「いやぁ・・魚釣りやら、臭いし・・・」 「いいやん、ゴルフばっかりせんでも偶にはさぁ」 「・・偶にはねぇ・・・」 私が本格的に磯釣りにハマったのはいつ頃の事だろう。振り返れば、小学生の6年生くらいまでは、波止場からのメイタ釣りや砂浜からの投げ釣りが学校から帰ってきての日課だった。中学生になると色気と悪ぶることが優先し、隠れてタバコを吸ったりバイクに乗ったりとお決まりの不良生活にハマっていった。そして、その後も釣りから離れたまま社会人となりゴルフや麻雀、これもお決まりの中洲へと毎晩のように「飲む、打つ、買う」を繰り返す日々が続いた。特にゴルフにおいては週3回は練習場に通いコースに月2回は足を運ぶといった具合で、かなりその面白さにハマっていた。その為、ゴルフを始めて4年程でスコアも平均80台で回る程になっていた。とにかく私は一つのことにハマると、とことん熱くなる。逆に冷めるのも早いが・・・。 12年程前だろうか・・・やがて、時代はバブルも弾け周囲の仲間とも次第にゴルフに行く回数が減っていった。コースを予約するにも人数を確保するのが大変になってきていた時期だったと思う。私はあいもかわらず仕事関係の仲間と麻雀を打っていた。そのうち、仲間の一人が楽しそうに釣り談義を始め、それに応えるかのようにトイメンの仲間が牌を切っていた。その麻雀仲間の2人は小呂島の大波止にちょくちょく渡船で渡り真鯛やイサキを釣っているそうなのだ。案の定、その2人が私を釣りに誘い始めた。私は今更釣りなんてと何度も断ったのだが、ゴルフ熱も徐々に冷めだしていた頃だし久しぶりに潮風にあたってみるのも良いかなと思い直していた。 「よしっ! ロー~ン! え~っと、ドラが三つ乗って・・親っパネやね、へっへっへ・・・・。そんなに言うんだったら、波止から真鯛が釣れるなら行ってみようかね」 今になって想い返せば、この‘親っパネ’がかえって高くつく事になったのかもしれない。そして私のこの時の一言が、小学生の時から封印したままだった『釣り魂』を目覚めさせ、次第に覚醒させて行ったのだろうか。 とはいえ、道具も何も無い。仲間が全て貸してくれるというが、子供の頃自分でお年玉を貯めて、オリンピックのグラスロッドを確か8,000円で買ったこともあり、その頃から釣り師としての勝気な気持だけは強く持っていたのだろう。「いや、全部自分で買うよ」と、釣具店に真っ直ぐ向かっていた。そこで最初に揃えたのは遠投カゴ釣り用の釣具一式で、ダイコーの名手磯4号遠投用、ダイワの5000番のリール、クーラー、カゴ、ウキ、カラマンボウやらなんやらかんやら・・・。 「なんで釣りにこんなに道具が必要なの?」 子供の頃とまるで次元が違う道具類にショックを憶えたものだった。そもそも、釣りに行こうという気持ちになったのはゴルフに月10数万円も使っていたので、釣りだったらそんなにお金は掛からないだろうと気安く考えていただけに、レジで精算する金額を見た時には思わず絶句した。 そして釣行当日、私たちは博多埠頭の船溜まりから渡船に乗り込んだ。 私は貰い物の縮れたライフジャケットの背中にマジックで‘波多江’と乱暴に手書きしたものを着用し、似たようなドン臭い格好をした他の釣り人達と身を寄せ合っていた。ゆったりとした波に揺られながら目的地に向かう渡船から見る波しぶきが私の中の時代を遡らせていく。仲間に誘われるまま、狭い船室に入っていくと皆上手い具合に足を交差させながら横になっていた。 「・・・・・」 その光景はもう新鮮というかなんというか・・まるで戦後直後の引き揚げ船にでもいるかのような妙な気分におそわれたものだ。 この、小学生の時以来の10数年ぶりの釣りの成果はアジが数匹だけという実にお粗末なものだった。だが、大した釣果でも無かったわりにカゴ釣り初体験ちおうオマケもついて私はとても満たされていた。潮風の心地よさ、ウキが沈む様、そのどれもがみな新鮮で面白く私の心は大きく揺さぶられたのだ。 そう、またまたお約束通りではあるが、私は釣りにハマっていったのだ。 |